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2009年4月

2009年4月30日 (木)

47. オーバーアルプ峠ーラインの源流を訪ねて

ライン川の源流、トゥマ湖へは、オーバアルプ峠(標高2044m)
から南方へ約3.5km、だらだら上りの水平道を辿ります。湖の手前で急坂になる程度で、峠から標高差僅か300mしかなく簡単に行けます。

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98年7月、アンデルマットは夜半雨が降り朝方は視界100程の霧。駅の売店で予報を聞くと新聞では「晴れ」と聞き嬉しくなりました。フルカ鉄道(いまはゴッタルド鉄道)の電車がオーバーアルプ峠を登ると四方ガス、数メートル先が見えず不安がよぎります。オーバーアルプ・ヘーエ駅で降り、車道の脇をそろりと進みます。峠の標識を過ぎ草原へ下る脇道にはいる頃、霧が急に晴れてきてバンザイ。
小さな沢を3つ過ぎると岩場のジグザグの急な登りになります。グループの女性から「あとどれ位」と悲鳴が上がったのはこの頃です。

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ライン川の源流は諸説がありどこかはっきりしません。その中でトゥマ湖(トゥーマ湖)が一番有名です。
源流の議論する前に誰かが声を大きくして言って、早いもの勝ちになったのかも知れません。湖の奥に「1320kmに及ぶライン源流」の標識が建っているし、スイス観光局のハイキングガイドにも「源流」と載っています。
この湖は観光スポットではありますが、ハイキング標識が立つだけの岩山に囲まれた寂しい湖です。
紺色の水を蓄えたトゥマ湖は岸辺に僅かの草地だけ、あとは岩山です。自販機も売店もありません。

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湖の東端に幅、2mほどの川が静かに流れはじめ、10m先から滝のように岩の裂け目を100m流下
「ライン川を二跨ぎ」と流れの中の石に片足を乗せ記念撮影が続きました。

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平地に降りついて振り返ると、V字形の狭間から一筋の渓流が足許へ来ており、これが「ライン」の始まりと感激。
記念写真を撮っているとそばに小型乗用車が来ました。峠から一走りして、100m急坂を上れば湖に行けるのか・・・

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峠の東側、赤い電車が走るのが見え、足元のライン川(フォルダー・ライン)の流れと、峠を登る
ヘヤピンカーブ、ラインの谷の始まりを象徴しています。

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峠のテッペンで一休みしましょう。

オーバーアルプ峠の詳細はkitamuraさんのサイトを紹介します。

http://www.eu-alps.com/i-site/cols/data/039.htm

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2009年4月29日 (水)

46. サン・ゴッタルド峠

アルプスを南北に縦断する峠の多くはローマ時代から設けられ南北の交易ルートになっていました。
しかし峠は国境に接し領地が変わるたびに通行税が課せられていました。
またて雪解けのとき雪崩で道路が荒れ保全が大変でした。峠に通じる街道はわざと荒れ放題にして遠回りをさせ時間がかかるようにしたのもあります。

Capt0000

ハクスブルグ家との戦いに勝ち独立を果たしたスイスは、13世紀半ばゴッタルド峠が開通させ、
シェレネン渓谷のロイス川に橋(悪魔の橋)が架かり街道が全線開通させました。
イタリアとルツェルン、チューリッヒを経由してドイツへ至る経済の大流通ルートになりました。

Google そこで、イタリア、フランス、ドイツの列強はここに目をつけ干渉し覇権を争ってきました。
スイスはどの国とも争わず、街道の整備管理、峠の宿、交代する馬の管理など相手の言い分を聞き、主張することは主張し、我慢強く話し合いで解決する方法を貫きました。これが中立国家の基本の始まりの一つとされています。

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峠は標高2106m、峠の名はドイツの有名な司教サン・ゴットハルトを記念する礼拝堂が1300年頃建てられた由来しています。
現在道路は3本あり、石畳の旧道、大型車が通れる新道、峠に掘ったトンネル道で、スイスを南北に貫く重要な街道でスイスの生命線となっています。

Gota4
なお、トンネル地下道とは別にスイス国鉄の鉄道トンネルも平行して走っています。
峠道が通る谷は「トレモラ谷」(震えるという意味)といわれ石畳の多い旧道の激しいつづら折はそれを物語ります。

第2次大戦でイタリアに進入を企てたヒットラーはこの峠を突破しようとしましたが、
スイス軍は街道、都市を守らずに全軍を峠の山中に集中させ、鉄道トンネルも破壊すると宣言し、ヒットラーを諦めさせた話は戦後の語り草になっています。

Gota2

いま平和時、峠を下る4頭立て観光馬車は小型車だけが通れる旧道をのんびりと走っています。

グリムゼル峠の傍、ローヌ氷河を取り巻くダマシュトック山から南に伸びる山脈はここを通り、ライン川
とティチーノ川の分水嶺になっています。

アルプスの峠の殆どを走破され体験記をアップされ、解説に詳しいKitamura さんのサイトは

http://www.eu-alps.com/i-site/cols/data/032.htm

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2009年4月28日 (火)

45. 悪魔の橋・シェレネン渓谷

000027 アンデルマットは氷河急行のツェルマット、サンモリッツのほぼ中間点になります。
上り下りの氷河急行がすれ違います。サンモリッツ方面にはチューリッヒからの乗客がドット乗り込みます。
南北が立体交差するので、ゲッシネンで乗り換え側線にあたる私鉄で一駅上って来ます。
発車したサンモリッツ行きがオーバーパル峠に差し掛かる急坂を登っていくのを若い駅長が見送っています。
側線にあたるサンゴッタルト鉄道の支線はシェレネン渓谷を10分程で上って来ますが、雪崩止めの半トンネルのため渓谷の景色は見られません。

Akuma01 イタリヤからスイスを通りドイツへ行く街道の難所が2箇所ありました。
スイスアルプス山岳地帯を越えるサン・ゴッタルド峠とシェーレネン峡谷でした。峠を越えては来たものの、アンデルマットのすぐ北に花崗岩の岩壁が切り立つ深い谷が待ち構えていました。ロイス川が削り取って深い谷になり道は危険な谷底を通っていました。


ここに伝わる伝説は有名で、この谷には、何回となく架橋が試みられましたが深い谷ゆえに難工事で挫折していました。13世紀ころ、困り果てたとき悪魔が工事を手伝うと申し出ましたが、最初に渡るものを生贄に差し出せという条件でした。村人が困り果てている内に橋は3日で完成してしまいました。ある知恵者が一計を案じ山羊を追い立てて橋を渡り、生贄にどうぞと言ったといいます。

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橋のたもとの壁にその伝説を伝えるモザイク画が残っています。

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1830年に新しい橋が直ぐ上に建設され街道は移され、岸壁を貫くトンネルの入り口には悪魔と山羊のイラストが赤くペイントされてます。悪魔の橋は旧道と共に残されアンデルマットの名所になっています。

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シェーレネン峡谷へ行くにはアンデルマットから1km北へ歩いて行きます。踏切を渡り車道沿いの歩道を辿りますが、一本道で判り易いです。
悪魔の橋は地図上ではTeufel Br(トイフェル・ブリュツケ)。


ロイス川(ルツェルンのカペル橋へと続いている)は歩道と並行して流れますが、峡谷に差し掛かると急な滝になり流れ落ちます。旧道は車道橋のたもとで分岐し坂道を下りUターンして車道橋の下をくぐって右折し悪魔の橋を渡ります。頑丈なアーチ橋で幅も広く手摺越に下を覗けば谷の深さにゾッとします。

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橋を渡ると断崖絶壁が覆い被さるように迫ってくるのが判りますが、午前中は薄暗く不気味です。両岸の断崖の間を縫うように曲がると突然視界が広がり谷が開け明るくなります。

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電車からは谷の様子はトンネルに遮られ見えません。歩く人だけが峡谷美を堪能できるところです。

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旧歩道はやがて渓谷の中に入り川沿いに下ります。車道は九十九折の道をそろりと辿りゲシネンに
入ります。

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2009年4月27日 (月)

44. アンデルマット

Capt0000 スイスの南部を東西に走る大きな谷は西にローヌ谷、東にラインの谷がありその中間に峠を隔ててウルゼレン渓谷があります。

Andermatt アンデルマッットはその渓谷の東端にあって、南はゴッタルド峠を経てイタリアに通じ、北はルツェルンを経てドイツへ通じ、西へはフルカ峠を経てローザンヌ、ジュネーブへ、東へはオーバーアルプ峠を経てクール、ダヴォスへと通じる文字通りアルプスの十字路です。

特に南北の道路は1830年ゴッタルド峠が開通してからイタリア、北ヨーロッパの交易路として栄えてきました。
現在この町の南北を走る車道は、ゴッタルドトンネルが地下を通りトラックのトの字も見えません。
近くにスイス軍の弾薬庫が山腹にあり、兵隊さんが来るときがありますが、町は至って静かです。

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中心はロマネスク風の教会で住宅が周りを囲んでいます。

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駅から南へ道路が通じ、オーバーアルプ峠からの道が左から三叉路で交わり、ロイス川の支流の
橋を渡り、右に曲がるとメインストリートです。

Station
それを抜けるとゲムスシュトック行きのロープウエイ乗り場に着きます。そこから先はゴッタルド峠からの道と合流してフルカ峠へ向かいます。

Gurschen_firn この町が賑やかになるのは夏よりも冬です。ゲムスシュトックの急斜面に広がるスキー場が有名です。
フルカ峠にもスキー場がありますが、こちらは上級者用で途中で転倒したら下までまっしぐらに落ちるほどです。氷河の卵にあたる「フィルン」の上に雪が積もるので、急斜面のゲレンデになるのでしよう。
町側へは柵を設けて雪崩止めをしており、スキー客は山の東側へ下ります。

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町のあちこちのレストランには「Zimmer frei」(Zimmer=部屋、frei=自由)貸し部屋ありますの看板が
見受けられるのはスキー客用です。さしずめスキーの民宿で賑わっているようです。

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フルカ峠付近に端を発したロイス川は町の西を流れ、シェレネン渓谷を通りますがゴッタルド街道
がロイス川を渡る難所があり、橋を架けるのに苦労をした民話のことはこの次にしましょう。

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2009年4月25日 (土)

43. ティトリス山

Swiss_map_engelberg_2 ティトリス(3239m)はエンゲルベルグからロープウエイを3つ乗り継いで登ります。

Engelberg_bahn_2 最初は4人乗りのテレキャビンでトゥリュープ湖mまで、シュタントまでは大型ロープウエイ、そこからは有名な回転式ロープウエイで氷河を越えてクラインティトリス迄行きます。

Titlis_map

Engelberg_3 トゥリュープ湖までは後ろを見るとエンゲルベルグと呼ばれる4つのこぶの峰が良く見えます。

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シュタントまでは眼下に雪原が広がり、時折雪ウサギが走るのが見えます。

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ティトリス氷河は流れる河の感じでなく山全体が氷の塊です。

Titlis_top_2
クラインティトリスにはテラスがあり直ぐ傍が雪原で、万年雪がどっさりと有り大勢の人がいます。
東南アジアの人が多く、雪を見る人が始めての人のようで戯れながら歓声を上げています。

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Annai_ban_2 案内板には日、韓、中、英が併記されていますがパンフレットにはアラビヤ語の併記がありました。

ユングフラウヨッホではアジア人は日本人が圧倒的に多いので、彼等はティトリスに重点を置いているのかも入れません。

Titlis_ice_00 ユングフラウヨッホのアイスパレスに似た小さな氷の洞窟を設けているのも頷けます。

Susten_horn_3

雪原に出てみると南側にはスーステンホルン(3504m)、ダマストック(3630m)(ローヌー氷河の源流)の山々が聳え、

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西の方にはベルナーオーバーラントの雪山が白く輝いているのが遠望できます。
絶壁の眼下はスーステン峠への道が細く遠くに見えます。このパノラまの光景は印象に残りました。

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2009年4月23日 (木)

42. エンゲルベルグ

000008 エンゲルベルクは12世紀ベネディクト派の修道院が建てられたのが始まりと言われています。
『エンゲルベルク(Engelberg)』とは英訳すれば『天使の峰』、谷の左手の連なる山に4つのこぶがありこれらを『天使の峰』と呼んでいます。日本の観光会社は『天使の里』と呼び宣伝しているようです。

Hahnen 町のシンボルはハーネン山、木こりが使う斧の形をした山。すぐ判ります。

Capt0000

この町はルツェルンから日帰り出来るので、電車で来てティトウリスへ登って帰るのが定番のようです。
日本人の宿泊客は数えるほどしかいません。台湾、タイを始めてとする東南アジア系の観光客が多く、
夕方散歩すると、広場では有色人種の日本語でない賑やかな歌声と踊りの輪が見られます。

町は静かで、ルツェルンの人並みと比べものにならなりません。

町の観光ポイントは2つあり、谷あいの町は奥に向かって右手がティトリス側で外国の観光客で賑わう国際派。左手はブルンニ側で地元の人が憩う国内派です。

まず、ブルンニへ行ってみましょう。

000020 中心街の近くにロープウエイ乗り場があります。10人の団体(?)が乗って終点に着くと
お爺さんがニコニコして出迎え、次のペアーリフト乗り場へ誘導します。
着いたところがブルンニ、子供遊園地です。
ロープウエイだけで十分なのですが一儲けしようとしたのでしょうか。

000025
ペアーリフトに乗ると長閑です。眼下にアルプが広がり牛がカウベルを鳴らして草を食べています。
リフト終点はお爺さんが誘っただけに眺望絶佳です。

Tetlis

白銀のティトゥリス(3238m)が大きく
見えます。
近くにいたマウンテンバイクの兄ちゃんが牧場のアルプの道を猛スピードで下りていきました。
ここにはハイカーはもとよりマウンテンバイクの人々が見られます。

Hahnen4

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2009年4月22日 (水)

41. ピラトゥス鉄道

ルツェルンからインターラーケンへ行く鉄道で普通車に乗り約16分4つ目のアルプナッハシュタート駅の傍にピラトゥス鉄道の駅があります。
世界一の急坂を登る鉄道として超有名です。勾配は480‰(ミリパール)、1000m行くと480m登ることで、角度にすると約26度です。

Platus2
山の麓駅に平行四辺形をした車輌が見えケーブルカーと見間違えますが、ワイヤーロープで引っ張るのでなく単独で登攀します。

Roha 線路の真ん中に第三の軌道を設けるラックレール方式の内ローハー式で、軌道の両側から歯車を噛み合わせ夫々のモーターに繋いでいます。駅前の広場にその模型を展示しています。

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改札口にはヨーロッパ言語のほか日、中、韓の8カ国で「ピラトス山で楽しいひとときをお過ごし下さい」と歓迎の看板が掲げられています。

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ホームはケーブルカー乗り場と同じで階段になっていて、電車の席はケーブルカーと同じで階段状に
なっています。電車は3輌いますが発車は1両毎で間隔を置いて走ります。

出発して程なく急勾配に差し掛かります。中間駅では下る電車とすれ違いをしますが、乗客は下ろしません。

Pilatus_16
線路を切り替えるポイントは無く、スライド式のターンテーブルをずらして切り替えます。

Table2

Table11

Pilatus_28
樹林を過ぎると広いアルプにでますが、線路の枕木は無く土台の柱に直接取り付けるというやや乱暴な
方式です。
やがて正面に岩山の崖が現れ、へばり付くように平行四辺形の電車が登るのが見えます。
先に発車した電車です。

Pilatus_29

後ろを振り返るとアルプの中を追いかけて来る車輌が見えます

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トンネルを潜り岩壁に取り付くと真下が見えます。レールの下に支柱をつけ岩壁に取り付ける荒業で窓の下は岩壁で思わずゾーットします。

Pilatus_26_2 壁を右に曲がると程なく終点で山頂のホテルがデンと控えています。

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終点の改札にも歓迎の8カ国語の看板が出迎えてくれます。30分の旅です。

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2009年4月21日 (火)

40. ルツェルン(6)ピラトゥス

Pilatus_l ピラトゥス山は鋸状の尾根が特徴で標高2129m、春先まで雪を被り、中部スイスを旅する人のランドマークになっています。ルツェルン地方では知らぬものは無く地元の 天気予報の目印にもなっています。

ピラトゥスさまが帽子をかぶりゃ(雲がかかると)
お国は晴れ晴れ上天気
腰に剣をおさげになれば(テッペンが雲の上にでいぇいれば)
用心なされにわか雨  【出典ミシュラン・スイスガイド】

Kapell_day ロイス川右岸のカペル橋付近から眺めると、鋸の歯状の尾根が不気味に見えます。
この山に伝わる伝説として、キリストに死刑を言い渡したローマの提督ポンティウス・
ピラトゥスの亡霊が各地をさまよいここへ辿りついたといわれます。
そして人々が近づくと嵐を起こしたと・・・。
長い間恐れられていましたが、迷信と判るとルツェルンの人々の憩いの場所として親しまれています。

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中腹以上は花崗岩に覆われゴツゴツして草木は育ってなく異様ですが、周りに高い山が無いので、頂上からの眺めが素晴らしく休日は地元の人で大賑わいです。

Berner_ch1 山頂には広いテラスがあり、2つの展望台へそこから登ることができます。
グリンデルワルトから50km離れていますがウェッターホルン、アイガー、ユングフラウの連山も眺望できます。
湖を望む展望台ではエンゲルベルグ、テトリゥスの山々も遠望できます。

Pilatus_02_2

Pilatus_24_2
日曜日には地元の楽団によるアルプホルンの演奏があり、4連以上のアルプホルンの音が
岩山に反射して勇壮に響きます。

Pilatus_23

ロープウエイを使えばルツェルンから簡単にアクセスできるのが魅力です。
中間駅からのハイキングコースには市民が手軽に利用しています。

またここの登山電車は世界一急勾配で超有名。スリル満点の箇所もあり鉄道ファンには垂涎の乗り物です。それは後ほど・・・・

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2009年4月20日 (月)

39. ルツェルン(5)ホー教会

Hof_l ゼー・ブリュック(ゼー橋)を渡って斜めに曲がり真っ直ぐ伸びる道の突き当りが「ホー教会」です。
町の守護聖人に捧げられ8世紀に建てられた由緒ある教会ですが、17世紀になり焼けたと言われます。ルネッサンス風に再建されました。

Photo

内陣は鉄格子で仕切られ聖職者が祭られています。

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そして建物内部には金色の祭壇画が祭壇を飾っています

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また多くの彫刻も飾られています。

Pipe_organ_l
ここのパイプオルガンはスイスでも最高レベルのものと評価されています。

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教会を見学した後は湖畔に沿ってぶらぶらとゼー橋に戻る散歩はいかがでしょう

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2009年4月18日 (土)

38. ルツェルン(4)旧市街

Photo ルツェルン旧市街はロイス川右岸ゼー・ブリックの下手に広がっています。
カペル橋の中ほどから眺めると町並みの様子が良く判ります。始めてスイスを訪れた人はこれを見て、スイスの中世の町並みだと感心するようです。

Market_l
カペル橋を渡って旧市街に入るには3本の橋がありますが、最初の橋を渡るのが
効率的かもしれません。渡ったところの果物屋があります。毎土曜日に朝市が立ちますが無関係でいつも開いています。

リンゴ1個と言うわけには行きません。kg単位で売りますから
旅行者にはチョット・・・

Cityhall_l
着いた所が「コンマルクト(穀物)広場」、旧市庁舎があります。17世紀に建てられたルネッサンス風の建物です。

そのそばにシュプロイヤー橋、通称粉引き橋があります。

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カペル通りを引き返して礼拝堂のある「カペル広場」にはゴシック風の噴水が立ち(フリッチの泉)賑やかです。
この広場の周辺には土産物を売る商店が立ち並んでいます。日本語を話す店員のいる店は、商店が休日になる日曜日でも開いているようですが・
・・

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2009年4月15日 (水)

37. ルツェルン(3)ムーゼック城壁

ムーゼック城壁はかつてはルツェルンの町を取り囲んでいましたが、今は旧市街の北に900mほど残すだけになりました。
ロイス川左岸から旧市街の奥に城壁の塔が見えます。塔は9つありその内3つは登ることが出来ます。

Taigan03
特に有名なのはロイス川に近いメンリ塔で左岸から見て一番左になります。シュプロイヤー橋の近くから見ると良く判ります。

塔内部は3階になっており梯子を使って上り下り出来ます。いまは各階板の間だけで何もありません。夏場は蒸せるように暑く汗が噴出します。

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塔の屋上はテラスになっており広く、武者のモニュメントが聳えるように立ち、ロイス川が眼の下を流れ、シュプロイヤー橋が眼の下に見えます。
天気の良い日は遠くにピラトスの山が見えます。

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もひとつ東のウォッチツルム塔からはツァイトルム塔を経てシルマー塔まで城壁の上を歩けました。
幅1.5メートルあまりで、スリル万点。ときどき地元の人が木陰のある城壁の上で写生をしているときが
ありましたが今も通れるのでしょうか・・・

Joheki05l Joheki04l

城壁の北側は牧草地や運動場になっています

Joheki07l_2

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2009年4月14日 (火)

36. ルツェルン(2)カペル橋

カペル橋はルツェルン観光の目玉です。ルツェルンはカペル橋で持つと言っても過言ではありません。

Capel04ll フィーアヴァルトシュテッター湖(4つの森の国の湖、俗称ルツェルン湖)に流れ込んだロイス川は湖の西端から西北へ流れ出しますが、出口に架かる大きな橋、ゼー・ブリュッケ(湖の橋)の100m下流にカペル橋は架かっています。長さは役200mですが、川幅は約100mですから斜めに架かっているわけです。

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屋根つきの木造橋です。14世紀の始め頃架けられたとと言います。屋根の下には町の聖人の生涯を描いた
110枚の三角の絵板が掲げられますが観光客にはチンプンカンプンです。

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Capel07l

橋の中ほどには8角形の尖った塔が立ち、見張り台に使われたそうですが、今は何か祀られています。
塔が橋のアクセントになり景観を引き立てています。

町を引き立てるこの橋は、1993年火災で半分以上が焼け落ちました。92年に最初訪れ眼に焼き付けていただけに、ニュースを聞いたときはショックでした。
火に気がつくのが遅かったのでしょう。川辺には小船も置いてありませんし、川の流れは急ですから消火に手間取ったのでしょう。

Kapell_lightup_2 
やがて完全に復元され、前と同じように欄干から花が下げられ、夜はライトアップされ華やかさが戻っています。

Kapell_day5_l_2 でも橋を渡ると以前のギシギシと時々鳴ったいたのが無くなり、新しい木が目立つのが残念でなりません。
下手にある兄弟橋のシュプロイヤー橋は創建当時のままで「鶯ばりの廊下」よろしくよく鳴いてくれますが・・・。

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2009年4月13日 (月)

35. ルツェルン(1)ライオン記念碑

スイスを感光する人の殆どはルツェルン市を訪れます。スイス第一歩か、スイス最後の日のどちらかを取るようです。

中世の面影を残す「旧市街」、花で飾られた木造の屋根付きの橋「カペル橋」、同じく屋根付きの「シュプロイヤー橋」、「ムーゼック城壁」など多くの観光名所があります。

今回はライオン記念碑を訪ねます。

百獣の王であるライオンではありまません。息絶え絶えの「瀕死のライオン像」です。

当時スイスは今日のような豊かな国ではありませんでした。石ころだらけの山の斜面を耕し牧場にし、牛を放牧して、ミルクを搾りチーズを作って稼ぐ貧乏百姓の国でした。長男以外の男子は傭兵として外国へ出稼ぎに行きました。スイス傭兵は勤勉、勇猛に戦うので、どこの国からも歓迎されました。

000037 1792年、フランス革命のとき、チュルリー宮殿でルイ16世とマリーアントワネットを守るため革命軍と戦い全員命を落としました。
伝え聞いたデンマークの彫刻家トルバルセンが悲劇を讃え山の斜面の岩に鎮魂の慰霊碑を彫りました。
池を挟んだ広場には毎日観光客が訪れ勇猛果敢に戦ったスイス兵を偲んでいます。

Photo 戦死したスイス兵は786ですが、ガイドボック等では8月10日全員戦死とあります。
しかし、瀕死のライオン像の下に彫られた碑文には「1792年8月10日、9月2日、3日」とあります。


原文は「DIE X AUGUSTI,II ET III SEPTEMBRIS MDCCXCII」
DIE X AUGUSTI は 8月10日です。
II ET III SEPTEMBRIS は 9月2か3日、
MDCCXCIIは1792のローマ数字、
M=1000、D=500、C=100、CC=200
XC=90、I=1、II=2
1000+500+200+90+2=1792

8月10日革命当日と9月2、3日の意味が不可解でならず、ルツェルン市広報局へメールを送り尋ねたところ次のことが判りました。
8月10日に600余名が戦死、残りが捕らわれ3週間後の9月2日から3日にかけて革命軍側により処刑されたいいます。

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現地で発行している日本語パンフレットによれば、

「瀕死のライオン像は不道徳な行為を戒め、ルツェルンの美しい町を大切に守っていくことを人々に語りかけています。これはルツェルンの町を、ルツェルンを訪れる人々を愛するのと同じくらい愛する願いであり、ルツェルンの誇りとする伝統です。」

ライオン像にかける思いが偲ばれます。

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2009年4月 9日 (木)

34. ラインの滝

スイスとドイツ国境近くのシャフハウゼンの街近くにあるラインの滝はヨーロッパ最大の滝といわれます。

Allkaryu
幅150m、高さ20m。日本人には拍子抜けの感じがします。那智の滝、ナイアガラなどに比べれば子ども扱いの類ですが、悠々と流れるライン河が突然暴れだしたようで渦巻く奔流と水飛沫は圧巻です。
滝のほぼ中央に大きな岩が2つ接近して立っており、大きい方にはボートで渡り、登ることが出来ます。

Map4 チューリッヒから電車で40分、シャフハウゼンの駅前からバスで10分、滝の近くの停留所に来ると地元の乗客が降りろと合図してくれます。バスが停まり降りるときは道の方角を指してくれます。みんな親切です。どうもこの町の人はおせっかいが好きのようです。

Mapx
5分ほど坂道を下ると滝の音が聞こえ、河についたら急ぐ人はそのまま円弧状の道を進み、滝の正面が見えるところで一服すればよろしい。土産物屋も沢山あります。
私たちは右岸下手の展望台①からスタートして、右岸上手の展望台②③、河にかかる橋の上④、左岸上手の古城展望台⑤、下手の展望台⑥、ボートに乗り河を渡り、滝の正面へ戻るコースをとりました。滝をぐるりと廻り堪能したわけです。

Yoko (右岸から横の様子を見る)

Ue04 (右岸上手より)

Overbridge

(橋の上より、鉄道も並行している

Ue02橋の上から、滝の裏手

Iwausiro

(岩の根っこは侵食進む)

Sagan (左岸テラスより)

Onboat

(ボートの上から。波が立たないのは渦巻く証拠)

帰りのバス停は行きと全く違う所にあり探すのに戸惑います。

参考リンク

http://www.switzerland.isyours.com/e/guide/northeast/rhinefalls.html

http://www.rheinfall.com/Milan/         ・・・・・・滝の航空写真 


http://www.knil.com/Rheinfall/Photos/Photos.html ・・・・・・多種のアングルから

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2009年4月 7日 (火)

33. シュタウブバッハの滝

ラウターブルンネン谷の入口にある滝。

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電車の駅から良く見えるので、時間待ちの客は見に行こうとするが、簡単では無いです。追いかければ逃げるように遠ざかります。電車が発車して暫くすると左にUターンしますからカメラに十分収まります。

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落差300m、ヨーロッパ第二規模を誇ります。あまりにも高い所から水が落ちてくるため飛沫になってしまうという感嘆が込められています。飛沫の滝の名で知られています。

Shibuki 詩人バイロンは「死神が乗っている蒼白い馬の尻尾」になぞらえているとか・・・。。

トゥリュンメルバッハからここまで3kmほど、谷底を歩いて来ました。
幾筋もの小さな滝が絶壁から、糸を引いたように落ちるのを見ながらやってきましたが、先に述べたようにこの谷の滝は歩いてもなかなか近寄ってくれません。逃げていくような気がします。遮る木や岩が無いので遠くからはっきり見えるのです。

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村はずれの教会を入れると絵になります。 谷の道路を隔てた電車のレール近くに小高い場所を見つけ、人家が3-4軒あり空き地の納屋のそばに高台があります。急な坂をエッチラ、ホッチラ杖をついて、カメラを提げて上がってくる私たち夫婦を、おばさんが珍しそうに眺めていました。

「グウテン・タァグ」と挨拶すると笑顔が返って来ました。じっくり狙って何枚も撮りました。

ユングフラウ・ヨッホへ上がったパック旅行、ラウターブルンネンでバスに乗り次へ急ぎますが、ここへ一寸寄り、車窓から見てUターンするのがあるそうです。それほど超有名なのです。

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2009年4月 6日 (月)

32. トゥリュンメルの滝

トリュンメルの滝は外から全体を見ることが出来ません。

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ユングフラウ、メンヒ、アイガーなどに広がる10の氷河の融け水が集まり、岩の隙間に沁み込み山をくり抜き洞窟を作って流れ、見え隠れしながら、一気に300mを怒涛のごとく降り下ります。

空の下に曝すのは出口付近で、残りは洞窟内です。
その量は毎秒200トン。出口付近では巨大な水柱が落ちている感じです。

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ラウターブルンネンからポストバスに乗り、トリュンメルで下車、500mほど歩くと入り口です。有料です。「スイスパス・ディスカウント、ハウマッチ?」と聞いたら「ノォー」。
そうでしょうここは観光名所で鉄道ではないもん。
地中エレベーターに乗り4階?まで昇り、遊歩道(随所に階段あり)を水飛沫や漏水を浴びながら、滑りやすい足許に気をつけながら、そろりそろりと見て廻ります。この内部に展望回廊を作り観光客を呼び寄せるスイス魂には脱帽します。

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案内板を見ると目玉の印がビューポイントですが、撮影にはどうも・・・
水滴にも注意しながらの撮影は易しくありません。望遠レンズ1本湿らし壊れたのを思い出します。

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下りはエレベーターを使うよりも、崖に取り付けた階段を使うのが眺めもよく谷のスケールを見ることが出来ます。

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ところで、冬の間はどうなっているのか気になります。地元のパンフレットによれば、12月から3月まではチョロチョロの流れだそうです。地熱のため少しだけ融けるとか。
4月になると毎秒数十リットルの流れ出し、4月から6月は雪解け水、6月から9月は氷河の融水が雷鳴を伴う豪雨以上の轟をなし、10月、再び毎秒数十リットルになるとか。

先人たちはこれを見てどんな感想を持ったのでしょう。

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Paul Julius Arter(1797-1836)が画いたトゥリュンメルバッハはこのようです。

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また、Johan Jakob Sperli(1770-1841)はこのように書き残しています。

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2009年4月 5日 (日)

31. ラウターブルンネン谷

ラウターブルンネンの谷は氷河が削った典型的なU字谷です。高さ300m、幅800m、奥行き5.3kmの規模です。南側はユングフラウから伸びる3000mを越す稜線続きで、陽が中々差し込みません。地質学者には興味のある谷です。

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GoogleEarthでその様子を俯瞰しました。

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冬は3時間しか日が当たらないときもあります。それでも人は住み谷は緑に溢れています。
バス道が通りその脇を氷河の融けた水の川が流れています。

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谷の底から見上げると絶壁です。顎を突き出して仰いで首の骨が折れそうになるぐらいです

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北側の崖から細い滝が幾筋も流れています。ラウターブルンネン村近くに有名な「しぶきの滝」があります。

南側崖からは細い滝はあまり見かけません。南側はユングフラウ、アイガーなどの氷河の融水が一カ所に集まり纏まって地中に潜り大きな滝となり最後は地表に出ます。有名な「トリメチェルの滝」です。

二つの滝については次回に・・・

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【注】
マルティニーからシャモニーへ行くとき同じような谷を通ります。「トリアンの谷」というV字谷でここも日照時間が極めて少ない谷ですが、教会を中心に小さな村が点在します。山の斜面から谷底へ300mほどUターンしながら下っていきます。
完全な南北の谷でラウターブルンネン谷と好対照の例です。

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2009年4月 3日 (金)

30. ハイキングの標識

スイスのハイキング道は良く整備されており、標識も標準化され、随所に立ててあり道に迷うことは滅多にありません。(ハイキングについての注意点はガイドボックに詳しく書いてあるのでそちらを参考にして下さい。)

標識に表しているのは現地語です。現地語といっても地名で、あとは数字だけです。

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例えば写真で①は現在地、標高です。メンリッヘン駅、2999mです
二種類の標識があります。②のように全て黄色の標識は、ジョギングシューズで歩ける道を示します。

③のように尖った所が白と赤で色分けされているものは、石ころが多く軽登山靴でないと歩けない道を
示します。

④は目的地、⑤は所要時間。1Std.15Minは1時間15分のことですが、スイス人の大人の時間です。大股で歩きますから日本人には1.5倍かかると計算します。

この標識で面白いのは日本語が併記されていることです。場所はロープウエイのメンリッヘン駅、グリンデルワルト行きのロープウエイ駅まで5分、クライネシャイデックまで1時間15分と表しています。
ヴェンゲンから上って来る日本人が多いので標識に日本語を併記したのでしょう。これを見るといかに日本人で俗化されているのが判りうんざりします。

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標識が立てない場所には、石や岩に白と赤で目印をつけ道に迷っていないことを示しています。

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ジョギングシューズで歩ける道の例(上)

軽登山靴で歩ける道の例(下)

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ツェルマットの標識は黒色で、字を白く書いています。書体も変わっています。

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2009年4月 1日 (水)

29. 山の名前

P・ベルニナのところで「P・」を付けた理由を説明しておきます。略式表記で正式には「ピッツ・ベルニナ」です。地図には「P.Bernina」と表しています。
「Piz Bernina」のことです。


サンモリッツはイタリア語圏です。ですから山の名前に使う単語はイタリア語と思われますが、ここはスイス最大の州、グラウビュンデンで、公用語 ロマンシュ語が使われる地域もあり、山の名は ロマンシュ語の piz を使っています。
イタリア語では pizzo です。
ベルニナ山系のテッペンはイタリアとの境界が多く両者の中を取り「P」を取っているのでしょう。

アルプスでは原語圏で山の名前に使われる単語が異なります。
ドイツ語圏では
horn=ピラミッド型の山頂 (Matterhorn マッターホルン)
joch=山の稜線のくぼみ (Jungfraujoch ユングフラウヨッホ)
grat=尾根 (Gornagrat ゴルナーグラート)

フランス語圏では
Aiguille=頂上(単語の意味は 針)(Aiguille du Midi  ミディ針峰)

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「ピッツ・ロゼック」

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「エィギュー・デ・ミディ」

Gold

「マッターホルン」

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